大久保の大ケヤキは推定樹齢300年以上とされ、埼玉県内で最大のケヤキです。その枝張り25メートルに至る大きさ。主幹は落雷などにより消失。国の天然記念物に指定されている山梨県南アルプス市寺部の「三恵の大ケヤキ」同様に空洞化した幹を持つ独特なケヤキです。樹齢1,000年を超える大ケヤキは全国に存在しますが、空洞化した幹でありながら枯れることなく今だ季節になると青々と葉が茂る大ケヤキ。そしてこのケヤキが持つ「不老不死の八百比丘尼」伝説は、とても魅力的で神秘的な要素です。時期が来ると枝を極端に切られ、悪魔の木と呼ばれる「バオバブの木」のような姿にされ、住民から厄介者扱いの表通りに並ぶケヤキ並木達とは異なり、歴史ある神社の神木として、敬われ、大切にされ、永く地域の移り変わりを見続けて来たケヤキです。
大ケヤキは大学の正門から程近い住宅街の中にある日枝神社の参道脇にあり、その日枝神社の神木とされ、1958年3月31日に浦和市指定天然記念物とされた後、埼玉県指定天然記念物となりました。高さ20メートル(※環境省:巨樹・巨木林データベースでは25メートル)、幹まわり9.4メートル、根まわり15.3メートル(※県指定時)。主幹上部は欠損していて幹の中央部は空洞化し、畳半畳~1畳ほどの広さがあります。樹勢は今だ衰える事無く旺盛で枝は四方に広がっています。その幹は、地上約3.5メートルのところで6本の大枝に分かれ神木らしい姿となっています。樹幹の太さでは県内のケヤキで最大といわれ(※『巨樹・巨木の調査報告』環境庁、1991年)、人魚の肉を食べて800歳まで生きた八百比丘尼(やおびくに)が植えたという伝説も残る県内有数の巨木。
人魚の肉を食べ不老不死を得たという八百比丘尼(やおびくに)の民話は全国各地に存在します。写真は空印寺(福井県小浜市)にある八百比丘尼が後瀬山中の神社の傍らに庵を建て居住し、800歳で入定したという洞穴があるお寺です。
また八百比丘尼に関する記述(八百比丘尼略縁起)も空印寺に残されています。※「八百比丘尼略縁起」については後述。
八百比丘尼は、荒礪命(あれとのみこと、膳臣(かしわでのおみ)の祖・佐白米命(さしろめのみこと)の子で若狭国(福井県南西部)造の祖)の末流である当国勢村高橋長者の姫。人皇37代斉明天皇の白雉5年(654年)に誕生し、肌は白玉のように容顔美麗で、智徳万人に優れていた。そのため世の人は神仏の再来と崇めた。16歳の時、龍王が白髪の翁となって現れ人魚の肉を与えた。姫はこれを食べたところ、不思議なことに幾百歳を経ても16歳の時の容顔から変わることがなかった。120歳にして髪を剃り諸国を巡遊し、ここに50年、あそこに100年と止住し、所々で堂社を修造し、また道路を開き、橋梁を架け、五穀樹木の繁殖を教え、また尊皇奉仏、五常の道を授けた。よって諸国の旧蹟のある所は勿論、広く尊崇を集めた。人皇100代後花園天皇の宝徳元年(1449年)7月26日、京都清水の定水庵で教化を止め、生国の若狭に帰り、後瀬山の山中の神明社の近くに庵を結び住んでいたが、齢800歳にして当寺境内後瀬山麓の大巌窟で入定した。人々は名付けて八百比丘尼、または八百姫とも寿長(ながす)の尼とも、また椿を特に愛し入定したので玉椿の尼とも呼んだ。入定後、祈願する者あれば必ず不思議の霊験があった。よって昔より都鄙遠近老若男女がこの霊地へ参詣し、福徳寿命を願い、諸病平癒を祈り、その霊助を蒙る者が多かったため、昔から今に至るまで参信祈願は絶えることがない。
八百比丘尼に関する話は、ここ大久保以外にも多数県内に存在します。800年生きた歳月からすれば当然ですが、全国に八百比丘尼の話が残り、また大ケヤキのように彼女が植えたとされる木も同じく存在します。
ここでは八百比丘尼に関して記述があるホームページリンクを掲載しますので、ご興味のある方は深堀りしてください。